Trackback
| Home |
2011.05.22 Sun
あまりに長きに渡って放置してたら、スポンサーサイトは鬱陶しくも入ってくるし何やで思い切ってちょこっと書くことにしました。
はて、誰が見るやら。
父が亡くなってもうすぐ四ヶ月が経とうとしてます。
最近は他のブログも自分を知ってるヒトが結構見てたりするので、なかなか本音が書けないのが苦しいところです。
そんなわけで、ここは誰も見に来ないだろうとちょっと吐き出させていただきます。
一昨年の秋に胆嚢癌の肺転移と診断を受けた父は、幸いにもほとんど症状もないまま一年近くすごせました。
もちろん、抗癌剤治療や免疫療法は間に受けていましたが、足に血栓ができて浮腫んだ以外は食欲もあり痛みもなく去年の夏まではゴルフまでしておりました。
それでも癌は父の肝臓でじわじわと育っており、ついに去年の暮れに黄疸がでてしまいました。
黄疸が出ると一気に調子を崩した父は入院。
胆管にステントを入れる辛い処置を受け、なんとか黄疸も引いたものの、年明けて少ししてから、心筋梗塞の発作を起こし二日入院してそのままなくなりました。
最後が胆嚢癌末期として苦しまなかっただけ、少しは良かったのかもしれません。
奇しくも私が最後を看取りました。
今でも、思い出すのは、たったいま自分の親が目の前で死につつあるのだ、という魂が遊離したような現実離れした感覚。
父は亡くなる3~4時間前、譫妄状態になっており、意味のわからないことをつぶやいたり(中国の国家主席について色々語ってたような…)ばたばたと寝返りを何度も打っておりました。
水、といえば水を、足がだるいといえば足をもむといった、細かく次々に下される要求に振り回されていて、やっと少し静かになったと思ったら、もう血圧が下降しつつありました。
なんというか、いまだにもっと優しく世話をしてあげればよかったと胸のつぶれる思いでその時のことを思い出します。
父は三人の娘を心から可愛がっており、周りから「男の子が一人いればよかったね」といわれても全く意に介さないヒトでした。
三人に惜しみなく愛情を注いでくれ、自立できる教育を受けさせてくれたことに感謝の思いが耐えません。
毎日父のことを思い出しています。
お父さん、ありがとう、と最後に大声で耳元で叫んだ言葉が聞こえてればいいなあと思います。
喪失の思いはまだ強く、自分を力強く支えてくれた庇護の傘がなくなってしまったことに呆然としてしています。
心の底のほうから、「N子、がんばれよ!大丈夫だ!」と声が今も聞こえてきます。
お父さん、ありがとう。
お父さんの娘に生まれて幸せでした。
スポンサーサイト
| Home |